ビットシフト
act8-A
ビットシフト
男の言葉は決して冗談ではなかった。確かに、南極には女王が居る。
最初、通信パケットの川の向こうに見えた壁の正体──QUEENシステムと呼ばれる、中央認証システムだ。
膨大な流れが皆あの壁を通って行ったように、Ω‐NETで行われる全ての通信は、例外なくこのシステムによる認証下で行われているのだ。
「QUEEN? 会うって、何を……」
「あ、ちょっと黙ってろ。……着く」
まばゆい光に包まれて、二人の体が消えていく。
感覚が溶ける、頭が燃えるような感じが一瞬したと思ったら、次の瞬間には全てが元に戻って、ウィリアム達は別の場所に居た。
「うわ……」
広さの感覚がおかしくなってしまいそうなくらい巨大な、円形の空間の中心に、太陽のような、白く光る塊がある。
壁には細かい穴が無数に空いていて、見ていると次から次から新しい光が現れて、まっすぐ中心へ向かって飛んでいった。
ひとつひとつは小さな光の粒なのに、見渡すと幾十もの太いヘビが、中心へ喰らいついているように見える。
あれはおそらく、全世界から集まってくる通信信号の集合体だ。ハロルドの言葉通りなら、ここはΩ‐NETにおけるトラフィックの中心地なのだから。
──最初に見せられた光の川は、こに集まる蛇たちの一匹に過ぎなかったのだ。
「あれが……QUEEN……」
「そうだ」
呆然と呟く少年に、ハロルドは頷く。
これまで1ビットダイビング中に見てきた景色は全て現実離れしたものだったけれど、ここでは、見えているものが、まるで映画か何かのような気すらしてしまう。
「何……する、つもりなんですか、ここで」
ハロルドがここで何をするにしても、それは、大それた、恐ろしいことのような気がする。
「口説きにきたんだよ。麗しの女王とひとつ、イイ仲になろうと思ってな」
「はあ?」
この期に及んで悠長に冗談を言うハロルドに、ウィリアムは殆ど悲鳴のような情けない声で聞き返した。
この男のこういうテンポには慣れたつもりだったけれど、いくらなんでもあんまりだ。
「言っただろ、1ビットダイビングはまだ未完成だ。もうちょっと使いやすくしねぇと俺以外使えねぇもんになるし、そもそも、世界中全てのホストに潜れるものにしたいからな」
「で、ゴーグルに乗せるシステムソフトの改良のために、欲しいものがある」
「欲しいもの?」
意味が分からないという表情で見上げる少年に、ハロルドはフッと笑う。そして、
「Ω‐NETの、管理者権限」
世にも不遜な計画をハッキリと言った。
「え……」
ウィリアムは最初きょとんとして、
「えええええっ!!」
腰を抜かしそうなほど驚いた。
「管理者権限、って、Ω‐NETって、ええええ……それ……だって、管理者権限といえば、QUEENと……」
「ウィル、驚くのは構わんが、俺の邪魔すんなよ」
ハロルドはいかにも心配そうだ。
「俺だって今回のはさすがに大仕事なんだから……だいたい、今侵入に使ったポートとパスを手に入れるだけでどれだけ苦労を……って、おい!」
ショックが大きかったのか、フラフラと男から離れ、傍のポートから出入りする信号を覗き込んでいるウィリアムを、ハロルドは慌てて止める。そして、彼に似合わない焦った様子で言った。
「い、いいか、よく聞け。余計なものに触るな。頼む」
「あの……僕、何が何だか」
ウィリアムは本当に目を回しそうな勢いだ。Ω‐NETの管理者権限だなんて、突然途方もない話題を出されたのでは仕方がない。
なにしろ、それは普通、生身の人間のユーザーが持つようなものではなくて、ごく一部の……この、目の前にいるQUEENや、連邦政府の基幹業務に携わるAIとか、そういうごく限られた存在に与えられるものなのだ。
「とにかく、また後でゆっくり説明してやるから、今はジッとしてろ。何も触るな、どこもいじるな。絶対、絶対駄目だぞ」
「ハル……?」
男の鬼気迫る様子に、冷静さを失いつつあった少年は、子供っぽい顔で目を丸くする。ハロルドはますます不安そうに、その薄い両の肩をしっかりと掴む。
「いいか、よーく聞け、ウィル。ここはSPICの中でも、政府系のポートが集まってるエリアだ」
──必死の形相だった。
「今は表では稼働してないような、大昔の、高度に自動化された連邦国家運営の仕組みなんかも山ほど残っていて、そのほとんどはまだ【生きてる】」
「俺達は今、総務省ドメインでここに潜ってるから、ちょっと触るだけで命令が直接実行されちまうようなこともあり得るんだ。そうなると何が起こるか分からん」
「わかるか? わかるな。頼むから分かってくれよ……?」
よっぽど重要なことらしく、ハロルドは殆ど懇願するような調子だ。少年は圧倒されたまま、コクコクと頷く。
「大丈夫。大丈夫ですよ……」
「ほんとか……?」
「はい。行ってきてください。僕、待ってますから。ここで」
へらへら笑う様子はいかにも頼りない。ハロルドは、そういえばウィリアムはまともに潜るのは今日で2度めの、完全なる初心者だったということを思い出した。
衝撃を受けているだけでなくて、たぶん、少年のキャパシティ的に、限界が近いのだ。
「話は……わかりましたよ。僕だって……邪魔をするつもりは……ありません、から……心配は、いりません……」
「お前……」
そもそも、こんなに長時間潜らせる予定は無かった。1ビットダイビングを長時間行うためには、普通はもっと経験を積まなければならないものだ。
はじめから、今の少年には無理なのだ。急がなければならない。
「わ、わかった。ちょっと待ってろ。すぐ済ませる」
早口に言って男はウィリアムの元を離れて、中心のQUEENへと向かっていく。光に溶けていく後ろ姿を見送って、少年はほうと息をついた。
ちょっと気を抜くと頭がぼんやりして、倒れ込んでしまいそうになる。気分も良くない。光を見過ぎたせいだろうか、何だか乗物酔いのような感じがして、頭がガンガンしていた。
(どうしよう……)
勝手についてきてしまったのだ。これ以上迷惑をかけないためにも、言われた通り、ここで待っていなければ。
(あー……でも、困ったな、なんか、意識が飛びそう……)
1ビットダイビングを始めてから倒れてばかりのような気がする。けれど、今ここで意識を手放すわけにはいかない。
(何か……)
気分転換になるようなものを探したい。とりあえず、せわしなく動く光を見ないようにしようと周囲を見回すと、少し離れたところに信号の通っていない区画があった。
ハロルドの言った、今は使われていない仕組みだろうか。そこだけ沈んだように薄暗く見えて、今のウィリアムには居心地が良さそうだ。
(あそこならいいかも……)
稼働している個所に下手に触って止めてしまったら大事だからと、フラフラ移動する。
何も触るなといわれても、ここは普通の空間と違うので、ハロルドの言う「何も」が一体どこからどこまでを差すのかが良く分からなかった。
かといってジッとして何も考えないようにしようとすれば途端に意識が薄れかけるし、困ったものだ。
(ハル……どこだろ……)
集中が途切れ書けているせいで、体は無重力空間に居るようにフワフワと頼りない。慎重に、ゆっくりと身体を反転させて、ハロルドの姿を探す。
遠くにいるせいで随分小さく見える彼は、中央の光球と向き合って、遠くから見ると何やら話をしているように見えた。もちろん、そんなことは無いのだろうけど。
(QUEENか……すごいなあ……)
この認証ゲートウェイは、もう何百年もΩ‐NETを守り続けているものだ。フル稼働時の半分の機能しか《起きて》いないといわれるけれど、いかなるハッキングも受け付けない鉄壁の認証機構だといわれる。
ハロルドはそんなものから、本当に管理者権限なんて貰うことができるんだろうか。
しばらく見ていると、光球が何度か瞬いたように感じられた。何だろうかと思った刹那、幕が下りるように世界が暗くなる。
「!?」
まずい。
自分の意識が本格的に落ちかけていることに気付いた少年は、何とか意識を保とうと必死にもがいた。
何か……何か、ハロルドが腕を掴んでくれた時のように、自分の輪郭をイメージ出来る刺激があれば。
せめて何か、通信を妨げずに手を付ける場所は無いだろうか。
『廃人になりたいか?』
ハロルドの言葉がよみがえる。
こんなところで廃人になるなんて絶対嫌だ。
何か──
彷徨う手のひらが、ひやりとした突起に触れた。何かある。
(あ……)
すがるようにそれをギュッと掴んでみると、パチパチ、と世界が瞬いて視界が戻る。
やっぱり、何かに触れていると良いみたいだ。良かった……と、ホッと胸をなで下ろした次の瞬間のことだった。
《連邦軍務省首都防衛軍本部ネットワーク監視局との通信を確立できませんでした》
「えっ?」
突然流れるアナウンス。同時に、周囲が急に明るくなり──異常事態を伝えるように激しく点滅する。少年が居た区画が一気に目を覚ましていた。
「な!!」
《連邦法第一〇八〇号を適用。首都防衛システムを起動します》
意味が分からない。けれど、何かものすごくヤバイことが起きてしまったような気がする。
「おいっ! ウィル! どうした!!」
「ハル……これ……何ですか……」
少年の問いに答えず、ハロルドは激しく明滅する区画に張り付いて、猛烈な勢いで状況を調べはじめる。
《首都防衛システムを起動中……攻撃元を特定できません》
どん!
「くそ、何で……こんなものがまだ生きてんだよっ!」
鈍い銀色に光る球体の壁を、ハロルドが叩いた。
「どうなってるんですか!?」
「古いミサイル防衛システムだ。こんなの……百年前に停止してるはずだろ……!!」
「ミサイル……!?」
唖然とするウィリアムに、ハロルドは手を止めずに言った。
「ジュピターシステムって聞いたことあるか」
「ジュピター……?」
「そうだ。百年前に緊急停止されたままになっている、連邦の政策判断コンピュータだ」
当然知っている。有名な話だ。
神の名を持つそれは、かつて、連邦政府の頭脳として作られたもので、行政だとか、司法だとか、政府機能のかなり大部分を一手に担っていた、とてつもない規模のシステムだ。
「ここは、ソレが使っていた首都防衛の機能だ。本体と一緒に眠ってるもんだと思ってたが……政府の連中、ここだけ独立稼働させてやがった……」
言葉の意味は分かるけれど、状況がのみこめない。
「僕……何を……」
「たぶん、お前が今、このシステムが使っているポートを、どれか閉じたんだろうな」
「え……」
息が止まった。
「閉じた……それって……」
「システムが、首都との連絡が断絶したと勘違いしてる」
「ど、どうなるんですか……」
声が震える。最悪の展開が頭をよぎった。
《攻撃元を特定できませんでした。全自治区による連邦政府への反逆行為と断定》
《攻撃目標を全自治区首都に設定します。連邦法一〇八〇号三十八条に基づき、各自治区政府へ緊急通達。異議の無い場合、ミサイル攻撃は九百秒以内に実行されます》
《緊急通達の送信に失敗しました。送信先を特定できません。緊急通達の送信を再試行中……》
そして、その、更に上を行く悪夢のアナウンスが響く。
「くそっ!!」
その時、ジョージが見ていたレーダーの電源が、部屋の明かりごと落ちた。
「停電か……こんな時に」
「じいちゃああ!」
突然の暗闇に怯えたアリスが喚く。
「アリス、停電じゃ。何てことはない」
真っ暗になった部屋で、バッテリー駆動のウィリアムとハロルドのゴーグルだけが、じんわりと光を放っていた。
「ていだう?」
「ああ、大丈夫じゃよ。でも、レーダーの電源が入らなくなってしまったなあ……」
ごそごそと周囲を探って、道具箱に入っている小さなライトを点ける。
SPICへの転送後は、ジョージの方から手助けを行えるようなことは無くなっていたので、二人を信じて待つしかない。
直前まで見ていたログでは特に問題は無さそうだったので、ジョージはホウと息をついて立ち上がる。ゆらゆら揺れるライトに、アリスがはしゃいだ声を上げた。
「ぴかーっ」
「タイミングが悪いのう……」
インフラ設備の古いガイアポリスでは、停電はさほど珍しくもない出来事だ。ジョージは孫を抱き上げ、慣れた様子で暗い部屋をベランダまで歩いていく。
カラカラ、と軽い音のするサッシを開け、外に出た。
「おお……見事に真っ暗じゃな、アリス」
せせこましく立ち並ぶ古いビルの合間から、普段はネオポリスの街が見えるのだが、今は見事に闇が広がるばかりだ。
「川向こうまで停電とは、珍しいな」
「じいちゃ?」
ジョージは落とすなよと言ってアリスにライトを消して渡す。自分は上着のポケットから煙草をとり出して、片手で器用にくわえて火をつけた。
光の無い街、老人と少女の頭上には、光る砂をぶちまけたような星空。幼いアリスは大きな瞳をいっぱいに開いて、祖父が吐き出した煙がゆっくりと空へと昇っていくのを見つめていた。
《ミサイル発射準備に入ります。目標、全自治区首都》
恐ろしい進行状況を淡々と伝え続けるアナウンスに、ウィリアムは気が変になりそうだった。
ハロルドは必死で止めようとしているけれど、少年には何も出来ない。自分がとてつもない失敗をおかしてしまったのだという事実は、猛毒のように体中を荒れ狂い、正常な判断力を奪っていく。
《ミサイル発射まで、残り六百秒》
ミサイルだなんて、そんなこと。
いわれても、僕は────
「……おいウィル、しっかりしろ!」
「え……」
ハロルドの怒鳴り声に、ハッと我に返る。
「今、防衛機構の命令伝達の経路が特定できた。ここから軍務省に潜ればたぶん止められる。俺が行くから……」
「いいえ、ハロルドでは間に合いません」
「え?」
「は?」
ハロルドの言葉を、柔らかい鈴のような声が遮った。と同時にウィリアムの手のひらを暖かいものが包み込む。
ひらりと制服をなびかせた、華奢な背中が目に入る。くるりと振り返って、少女は微笑んだ。
「ウィル、大丈夫です。あなたのサーチです」
彼女が立っていた。緊迫した状況に全く不似合いな、花のような笑顔で。
「君……どうして」
「サーチはウィルと一緒です。サーチはウィルのものです。つまり、サーチは、あなたの願いを叶えます」
白い腕がスイッと伸びて、ウィリアムの青ざめた頬を愛おしむように撫でた。
「サーチライト、お前……こいつのブレインポケットに寄生したのか……?」
少女の登場が意外だったのか、振り向いた形で固まっていたハロルドが呆然と呟いた。そして、数秒考え込んでからサーチを見て言う。
「潜り先は軍務省だぞ。【お前が】止めるのか?」
妙に引っ掛かる言い方だったが、少女は深く頷く。
「イエス」
「かかる時間は?」
「全てのリソースを速度優先で、およそ五八二秒です」
「分かった。頼む」
ハロルドが言うと、サーチはウィリアムから手を離し、銀色の壁に向かって手をかざした。
「アクセス制限を解除、防壁トラップへの攻撃コマンド使用制限解除、データ自動修復プログラムを破棄、自動バックアッププログラムを破棄……」
言葉に合わせて、少女の体は青白い炎のようなもので覆われはじめる。
「全ての防御機構を破棄。これより軍務省陸軍ミサイル管制室へハッキングを行います」
「サーチ!」
悲鳴のような声で彼女を呼んだ少年を、少女は優しく見つめる。
「行ってきます。ウィル」
少女はそう言って、彫像のように動かなくなった。
To be continued.
読んでくれてありがとう!
操作ヘルプ テキストで読む キャラクター紹介 作品情報
トップページ 前の文章
Studio F# Twitter
 
 



ウィリアム・レリック

本編主人公。
ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
優等生で生徒会の書記も務めるが、同学年にはあまり友人は居ない。
コンピュータ・マニアで、学校のSiNEルームに入り浸っている。




サーチライト

ウィリアムが学校のSiNEルームで出会った謎の少女。
自ら「Ω‐NET自動巡回システム対話インターフェースユニット、コードネーム『サーチライト』」と名乗る。
ネットから情報を集めるクローラープログラムの一種であるらしい。




エリカ・グレイン

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
ウィリアムのクラスメートであり、生徒会で会計を務める。
生徒会長に心酔しているらしい。




サナエ・A・ノースランド

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会長を務める。
知的な才女タイプだが、ウィリアムのことを、入学当時から妙に気に入っている。




リュシアン・エンジェル

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会副会長を務める。
人当たりのよいプレイボーイで女の子が大好きだが、サナエのことは恐れている。

ウィル サーチ エリカ サナエ リュシアン
閉じる

操作ヘルプ

本文をクリックして読み進めてください。IE9以上や最新版のFirefox、Chrome、Safariの場合は、エンターキーまたはスペースキーでも読み進めることができます。
前の文章に戻りたいときは、左下の「prev」ボタンを押してください。



全8話、毎週金曜更新

本作品は、毎週連載形式のオンライン小説です。
サイバーパンク・SF学園もの。

世界観についてはこちら 更新情報ツイッター
閉じる