ビットシフト
act8-B
ビットシフト
その後の一秒一秒は、やたらと長く感じられた。
止まらないカウントダウンを、息を詰めるようにして睨む。残り、あと四八〇秒。
「……ハル、サーチは、こんなことまで出来るんですか?」
唇を噛みしめて、震える声で尋ねる。
「俺の遠隔端末として設計してるから、ハッキングに関しては、俺の出来るようなことは大抵こなせる」
「ただ、ここで呼び出せるとは思ってなかった。お前、あいつを脳に受け入れるようなことを、何かしたか?」
言いながらもハロルドは手を止めない。少女の隣に座り込んで何かのプログラムを書いているようだった。
「脳に?」
「そうだ。この場所は特別なんだ。ここにあいつが現れたってことは、俺かお前の脳内にプログラムの一部でも埋め込まれていないと説明がつかねぇ」
「そんなこと、僕は……」
そんな操作を行った記憶は思い当たらない。
「どうせお前、妙なこと口走ったりしたんだろ。マーキュリーAIは自己学習の上に、自己判断もするからな」
「えっ……!?」
「……まあいい。とにかく、今はそれに救われたからな」
「はい……」
不安げに見守る少年の前で、伸ばされたサーチの細い腕がポロリと欠け落ちた。
「あ……っ!」
思わず息を呑む。見ると、腕だけでなく身体や、髪や、顔にまで細かな亀裂が走り、そこからポロポロと体が崩れていく。これは──
「サーチ!」
「騒ぐな。こいつが働いてる証拠だ」
慌てる少年に、ハロルドは押し殺したように言った。
「もともと、仕様では総務省関連以外に潜るようにはできてねえんだ。軍務省なんかに入れば、異物としてホストの侵入者除けトラップに攻撃される」
「そして、こいつは今、全ての防御機構を捨てて潜ってるんだ」
「そんな……」
ハロルドが話す間も、少女の体はなす術も無く崩れていく。ウィリアムはうろたえた。彼女を救う手だてはないのか?
「──よし、できた」
ハロルドが顔を上げた。
「こっちはこっちで、まだやることがあるぞ。手伝えウィル」
強い調子で言う。
「手伝う……って、何をすれば」
「これだ」
ハロルドは何やら、カプセル型のファイルをいくつか投げてよこす。
「攻撃目標にされてる各自治区からの異議申請……に偽装したパケットだ。ファイルに送るべきポートは書いてあるから、間違えないように押し込んで回れ」
「え……」
「俺は今から閉じたポートを復旧する。いいか、絶対間違うなよ。落ち着いてやれば馬鹿でもできる」
念を押され、慌ててカプセルを確認する。確かに、送り出すべきポートの番号と共に、自治区の名前が記されてある。ベリス、シノニア、エウロ、トッカル……
急げ、と、ハロルドは言った。ウィリアムはちらりとサーチの方を見る。少女はやはり微かにも動かず、身体を削られながらダイブを続けている。
残り時間は四〇〇秒を切っていた。少年は、意を決したように強く頷いた。
「ポート番号は、触れば確認できる。お前のちょうど左後方あたり、調べてみろ」
「は、はい!」
言われた通り、傍にあったポートの周囲にそっと手を添えてみる。フッと小さなステータスウインドウが浮かんだ。周囲のものも幾つか開いて、手元のファイルにある番号と見比べる。
「えと……あ……ありましたっ!」
「よし、じゃあそのポートにパケットを押し込め」
確かに難しい作業では無かったが、無数にあるポートから、たった数個を見つけ出すのは骨の折れる仕事だった。ハロルドからだいたいの位置を指示されて、必死に探す。
「そこ、終わったら右手に二ブロック移動したあたり。トッカルのポートがある」
自分の手を止めずハロルドはどんどん次を指示する。まだ自由に動き回ることもままならないウィリアムだったが、必死にそれに応えた。
「ええと……トッカル……」
「間違うなよっ!」
「わ、わかってますって!」
あたふたと全てのパケットを送信し終える頃には、残り時間は一〇〇秒を切っていた。
「は……はぁ……終わりました……」
フラフラとハロルドの元に戻る。彼はまだ作業を終えていないらしかった。
「ほ、他に……何かすることは?」
少年の言葉に、男はキッパリと言った。
「何もするな。今度こそ」
サーチの横顔を、ジリジリとした焦りの中、ただ見守っていた。残り時間はみるみる減っていく。信じるしかなかった。
(サーチ……)
ダイブ先で攻撃を受けるたび、少女の体は崩れていく。指が欠け、肩が崩れて、腰から下も殆ど消えかけてしまっている。
その姿は、まるで風雨に晒され風化した古代の彫像のようで、息苦しいほど痛々しく感じる。できることなら、手を差し伸べて抱きしめたい。
「……よし。復旧したぞ」
ハロルドが顔を上げた。残り三五秒。
「ハル、サーチは……」
「ボロボロだな。傑作なのに……」
三十秒、少女はまだ動かない。
二十五秒、美しいみどりの目がひとつ崩れ落ちた。
二十秒、すんなりした両足はもうどちらも無い。
十五秒、十秒……はじめに彼女が言った予定を過ぎてしまう。もしかして、彼女は失敗してしまったのだろうか。
「サーチ……」
五秒、四秒、三秒、人の形を保てなくなってもなお可憐さを失わない少女に、ウィリアムがそろそろと手を伸ばした時だった。
「────終了しました」
澄んだ声が、光子(フォトン)の満ちた空間を揺らす。
少女はにっこり微笑みながらゆっくり少年の方を向き、そして、欠けてボロボロの両手を広げて、そして──
少年の意識は、そこで途絶えた。
その日の停電の理由が、南極情報通信センターで起きたネットワーク障害によるものであることは、決して明るみに出ることは無かった。
ただ、いつもより少し大規模な停電が起きて、しばらくの後いつも通り復旧した。街に住む者にとっては、おそらく、それだけだ。
「お……戻ったか」
ベランダでアリスと星を見ていたジョージが、室内の明かりが戻ったことに気付いた時には、既にハロルドはゴーグルを外して起き上がろうとするところだった。
「ジョージ……悪い、水くれ」
「お? あ、おお」
珍しく疲れた様子のハロルドにミネラルウォーターの瓶を渡すと、彼はごくごくと喉を鳴らし、それを一気に飲み干した。
そして、改めてソファから起き上がると、傍でぐったりしているウィリアムのゴーグルを外し、冷や汗をかいた頬を軽く叩いて起こした。
「おい、起きろウィル」
「う……」
「おい」
青い顔で目を覚ます。ぼんやりと焦点の合わない目で男を見上げるウィリアムは、うわ言のように呟いた。
「気持ち悪……」
強烈な乗り物酔いのような吐き気に見舞われているのは、おそらく、最後ハロルドに強引に強制終了させられたからだ。
その上、突然生身の感覚が戻ってきたものだから、普段の三倍くらい体が重い。
「うう……」
「ほらほら、吐くならあっちいけ」
息も絶え絶えの少年は、ハロルドに容赦なく襟首を捕まれてトイレに連行される。体はだるく、ちょっと動かしただけでズキズキと頭が痛む。
息を吸っても胸がむかつく。とにかく最悪の目覚めだった。
そして、まるで感覚が生身の体を拒否するように、胃が空っぽになるまで吐いた。
「……ウィリアム、生きておるか?」
しばらくして、水を片手にジョージが声をかけてくれた。背中をさすってもらって少し楽になると、冷たい瓶を受け取ってほうと息をつく。
「すみません……」
「いや、お前さん大したもんじゃよ。そもそも、最初の頃は誰でも酔うもんだ。横になったらすぐに治るから、大人しくしていなさい」
ジョージの言葉通り、吐き気が治まった後は急激に眠くなる。けれど、少年には今すぐ聞いておかなければならないことがあった。
「ハル……」
頼りない足取りで、居間に戻る。
「おう、復活したか、問題児」
テーブルトップコンピュータの前に座って、ハロルドもさすがに疲れたのか、二本目の水を片手に、だるそうにモニタを見ていた。
「あれから……どうなったんですか……」
「見ての通り」
ピッとテレビモニタを点ける。深夜のスポーツニュースが、今日のフットボールの試合結果を淡々と流している。
「世界は平和そのものだぜ」
良かった……と、少年はその場にへたり込む。そして、
「サーチは……? 無事ですか?」
やつれた顔でそう口にする少年に、男は苦笑した。
「今見てる。……ま、無事とは言えん状況だがな」
ハロルドの言葉に、泣きたいような気持ちになりながら、ウィリアムはうなだれた。あんなに酷く壊れてしまったのだから、もう元通りには直らないということも不思議ではない。
信じたくは無いけれど。別れる瞬間、差し伸べられた彼女の手に触れることが出来なかったことがひたすら悔やまれた。
「サーチ……」
ソファに座り込んで悲しい声で呟く少年の柔らかい黒髪を、ハロルドは長い指でぐしゃっと掴んで、ぐりぐりかき混ぜながら言った。
「死んだみてーな声、出してやるなよ」
その言葉に、少年は白い顔を上げる。
「助かるんですか!?」
ウィリアムの声があまりに必死なのが面白かったのか、ハロルドは少し笑って、それから、彼らしい尊大な調子で言った。
「俺を誰だと思ってるんだ。助けるよ」
それから、からかうように口を歪める。
「お前の、可愛いサーチだしな」
な、何を言うんですか! と慌てるか、馬鹿なこと言ってないでちゃんと直して下さい! と怒るかのどちらかを期待していたハロルドだったが、その予想は裏切られてしまう。
「ん……?」
少年は力尽きて眠っていた。
気付いたハロルドは、珍しく年長者らしい顔で小さく息をつく。
「……ま、上出来だな。今日のところは」
疲れ切った少年の寝顔は年相応に幼く、安らかだった。
「お、寝たかの」
ジョージはクローゼットから引っ張り出してきた毛布をウィリアムにかけて、自分の定位置にドカリと座る。
「ああ、今日はこいつのせいで死ぬところだった」
「何があったんじゃ? こっちは停電で最後追えなくてな」
煙草をくわえながら尋ねるジョージに、ハロルドは肩をすくめてため息をついた。
「……話せば長くなる」
追々説明するよと、言いながらハロルドは少年のゴーグルを拾った。そして、それをケーブルで自分のテーブルトップに繋ぐ。
「しかし、まだ二度目なのに、よく頑張ったじゃないか」
「確かに。あの長丁場で最後まで意識あったからな。向いてるよ、こいつ」
「拾いもんじゃな」
ハハハとジョージは笑ったが、ハロルドは複雑そうな顔で少年を見下ろした。まもなくハロルドが入力しているコマンドの内容に気付いたジョージが、怪訝そうに相棒を見る。
「ハロルド?」
「──才能のある奴には特に、危険な道具だよ。これは」
目が覚めたのは、翌日の朝だった。
「え……」
周囲を見回す。状況を理解するのに随分かかった。
まず、自分の部屋で無い場所で目覚めたことにぎょっとして、少し考えて、ここがハロルドの部屋であることを思い出した。
ジョージとアリスの姿はもう無く、ハロルドはソファで寝ている。窓から差し込んでいるのは紛れも無く朝日で……
「えええっ!」
思わず小声で叫んだ。どうしよう、泊まるつもりなんて毛頭無かったのに。
当然、家に連絡もしていない。慌てて起き上がるウィリアムの頭に、何か貼り付けられているらしいものがひらひらと揺れた。
「ん……わ、いてて……」
酷いことに髪の毛にテープで貼り付けられていたらしいそれを剥がすと、ハロルドからのメモだった。
『起きたら起こすな。ハイスクール行きはマクスウェルアベニューからメインストリートに出たところのバス停から直通が出てるのでそれで行け』
『あと冷蔵庫のものは適当に食ってもいいからな。ビール以外』
「……ビールなんか要らないよ」
どうやら一応気遣ってくれたらしいハロルドの、愛想が無いほど長い足をぼんやり眺めつつ、とりあえずエリーゼにする言い訳から考えはじめる。
こんなことになるなら、昨日のうちに何かしら連絡を入れておけば良かった。
シンとした室内は薄暗く、朝の清らかな雰囲気の中では、雑然とした部屋もどことなく美しいもののように思われる。
そっと自分のゴーグルを拾い上げて鞄に入れて、外してあったタイをつける。
空っぽの胃が食欲を訴えて来なかったので、少し考えて、水を一本貰って行くことにした。幸い時間はまだ早いから、学校にはどうにか間に合うだろう。
サーチのことをもっとちゃんとハロルドから聞きたいけれど、起こしては駄目だそうだし、また放課後にでも来てみよう。
彼が助けると言ったのだから、きっと、彼女は大丈夫だ。
そんなことを考えながら玄関ドアを開けると、気持ちの良い早朝の空気がフワリと少年を包んだ。
「せんぱあいっ」
部屋に入るなり甘い悲鳴をあげて飛びついてきたエリカに、朝から一人で生徒会室の整理をしていたサナエは思わず後ろに倒れそうになる。
「わ……ちょっと! エリカ、やめなさいっ」
「うふふふ、見てください、エリカ、お料理上手になっちゃうかも」
「なあに、これ……」
得意げにエリカが差し出したのは、彼女お気に入りの、ファンシーな蛇のマスコットが描かれた紙袋。
サナエはそれを受け取ると、おもむろに覗きこむ。ピンクや黄色の、せんべい状の菓子らしい物体がぎっしりと詰め込まれている。
「……クッキー?」
「マカロンですよぉ!」
どうやら、料理上手への道は険しそうだ。
「み、見た目よりは断然、美味しいんです! あと、この下の方にマドレーヌも入ってて、それは絶対自信作っていうか……」
「ふふ、この間のケーキも美味しかったものね」
昼休みにみんなで食べましょう、と、サナエは微笑んだ。麗しの生徒会長の笑顔に、エリカはうっとりと頬を赤らめる。
まもなく試験が終わり、大会休暇がはじまる。そして、彼ら生徒会役員にとっては、学園祭で行われる一般向けのオープンハウス展示に向けて、準備に慌ただしい日々がやって来るのだ。
「……それにしても、エリカ、難しいものにチャレンジしたのね、マカロンなんて」
「そ、そうなんです?」
「そう思うけど……難しくない?」
「そ、そうだったんですか……」
「今度また、一緒に作りましょうよ」
「……先輩、またウィルにあげるとか言うんでしょ」
「だめ?」
「あんなのにいい思いばかりさせるのは癪です!」
「ウィルばかりだなんて言ってないわ、リュリュとかにも……」
「……それ、絶対ついでだもん」
「つ、ついでって……そんなこと……」
「エリカはねえ、知ってるんですから。ぜーんぶ、お見通しなんですから!」
「えっ……知ってって、何……」
と、サナエの携帯端末が鳴りはじめる。ウィリアムからだった。二人の会話を聞かれていたようなタイミングに、ドキリとして電話に出る。
「ウィル……?」
その名前に、隣のエリカがピクリと眉を動かす。
「あ、先輩、すみません!」
外かららしい、少年は息を弾ませて突然謝った。
「どうしたの?」
「あの、今日、僕、学校休むんで、病欠ってことで、再試申請の届け、出しておいてもらせませんか」
病欠には聞こえない元気な声が言う。
「何言ってるの!?」
「先輩しか頼める人居なくて!」
少年の言葉にぱあっと赤くなるサナエと、怪訝そうに目を細めるエリカ。
ずいっと通話を盗み聞こうと顔を寄せてくるエリカを避けながら、サナエは気を静めるように深く深呼吸をして、それから思い切り怒鳴った。
「君! そんなことを、よくこの私に頼めるわね! 試験をさぼるなんて、許さないわよ、出てきなさい! 今どこなのっ」
「学校の前です!」
「は? 学校って、何を……」
「とにかく、お願いしますっ! この埋め合わせは、今度絶対しますから!」
一方的にそう言って、少年からの通信は途切れた。
「な……っ」
生徒会長は切れた通信端末を見つめて、わなわなと肩を震わせた。エリカはそれを面白そうに眺めながら、お菓子と一緒に持参した昼用の飲み物を生徒会室専用の冷蔵庫に入れはじめる。
今日は──底なしに気持ちの良い秋晴れだった。
息を吐く度にペラペラとひらめく妙な感覚に、ハロルドは目を覚ました。というか、息を吸い込んだ時に鼻にソレが張り付いて、危うく窒息しそうになる。
「う……」
気だるげに身を起こして額に貼り付けられたソレをペラリと取る。自分がウィリアムに書いて貼り付けたメモであった。裏面に、妙に綺麗な字で
『お世話になりました。サーチのことが気になるので、また放課後にでも来ます』
と、書かれてあった。ふうん、とハロルドはにやにや笑う。シャワーでも浴びてサッパリしようと思い、立ち上がって時計を見た。
午前十一時半。ああ、丁度昼飯時だな。風呂の後は飯だと決める。何食おうかな、腹減ったな、という具合に次々欲望に忠実な思考を巡らせながら、作業途中のコンピュータのモニタ表示をオンにする。
ピョコンと出てきたウインドウをちょっと覗いてから、あくびをしつつシャツを脱いでシャワールームに入ろうとする。バン、と、開けっ放しだった玄関ドアが開いたのは、その時だった。
「ハル!!」
肩で息をするウィリアムが立っていた。少年は怖い顔でハロルドを睨んでいる。
「随分早い放課後だな?」
少年の登場に驚きもせず、皮肉っぽく言った。ウィリアムは慌てた様子で鞄を探り、ゴーグルを取りだして男の方に突き出した。
「何したんですか! 僕のゴーグル!」
「お、気付いたか。早いな」
「システム、空なんですけど!!」
「入って適当に座ってろ、俺はこれからシャワー」
叫ぶ少年を無視して、ハロルドは浴室に入っていった。
ウィリアムは絶句して立ち尽くすが、まもなくザアザアと水の流れる音が聞こえはじめると、ため息をついて部屋に入る。
朝出てきた時とほぼ同じ状態の居間に入ると、ハロルドのテーブルトップが立ち上がっていたので、心を静めつつそっと覗き込んだ。
プログラムコードが表示されたウインドウと、何かの進行状況を表すメーターが表示されていた。その周囲には数え切れないほどの小さなファイルが散乱しており……どうやらそれらは、バラバラになって壊れたサーチのカケラのようだ。
「あ……」
学習型AIは自律的に情報を収集して成長するので、彼らが記憶したメモリデータが消えてしまえば、二度と《同じもの》には戻らない。ハロルドは、彼女を本当に元に戻せるのだろうか。
「サーチ……」
ほのかに光るウインドウに指をかざす。
「心配すんなって」
真後ろから声が飛んでくる。パッと振り返ってウィリアムは立ち上がった。
「僕のゴーグル……」
「ああ、俺がデータを消した」
濡れた髪をタオルで乾かしながら、悪びれる様子も無くサラリと言う。
「どうして!?」
当然、少年には意味がわからない。やっと昨日、まともに潜れたところなのに!
「お前、あれ使わせると勝手に潜るだろ」
「当たり前じゃないですか!」
「駄目。不許可」
怒鳴るウィリアムに取り合う様子も無く、ハロルドはどっかりとソファに腰を下ろす。復旧の進行状況を確認しつつパパパと別のウインドウを開いて何かしている。
少年が居るのを全く無視して作業をはじめそうな勢いに、ウィリアムは頭に来て男の目の前に空になったゴーグルを差し出す。
「元に戻して下さい!」
1ビットダイビングを実現するソフトウェアはハロルドのものであり、彼に消されてしまうと、二度は手に入らないのだ。
「……そんなに潜りたいのか?」
「当たり前じゃないですかっ!」
「へぇ……」
ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべて、少年を見る。それから、いかにも足下を見るように、偉そうな口ぶりで言った。
「じゃ、弟子になれ」
「はぁ?」
突拍子もない命令に、ウィリアムは目を丸くする。
「だから、弟子だよ弟子。俺の忠実なしもべ。使いっぱしり!」
「……後ろ二つは違うんじゃないですか?」
「それ以外では直してやれんなぁ」
じっとり呆れた目を向ける少年だったが、男は素知らぬ顔だ。弟子はともかく、ハロルドの使いっぱしりになんてなるくらいなら、サナエ先輩の奴隷になった方がいくらかマシだ。
けれど、ここでゴーグルを直してもらえなければ、二度と1ビットダイビングは出来ない。
「うう……」
「どうする? ウィル」
ハロルドの声がまるで悪魔のように思える。けれど、やはり少年は好奇心に抗えない。
「………………」
恨めしそうに男を睨んでから、がっくり肩を落とした。
「……弟子にしてください」
「ふふふふ、仕方ねぇなぁ」
ハロルドはわざとらしくそう言うと、邪悪な笑みを浮かべて頷く。これからこの男の使いっぱしりだなんて、気が遠くなりそうだ。こめかみを押さえつつ、ウィリアムはふと思い出して言った。
「……あ、そういえばハル」
「何だ?」
「昨日のあれ……管理者権限……どうなりました……?」
少し言いにくそうに口にする。ハロルドの作業中に自分が問題を起こしてしまったので、どうなったのかと心配していたのだ。
少年の気持ちを察したのか、男はひょいっと作業中のウインドウをしまって、テーブルトップからΩ‐NETに接続してみせた。
ゴーグルで繋いでもテーブルトップでつないでも、認証をくぐる辺りまでは同じ画面である。
「あ……!」
QUEENシステムからのメッセージが表示されると、ウィリアムは短く叫んだ。
《Hello Wizard! Welcome to the Omega-Net.....》
定型の認証メッセージが書き変わっていた。これが意味することを、少年は知っている。
「ふふん、女王も可愛いこと言ってくれるじゃねーかよ、なぁ?」
「す、ごい……」
素直に感嘆の声を上げる弟子に、魔法使いは彼らしくニヤリと笑う。
一瞬尊敬の眼差しで見つめる少年だったが、ふとその脇にあるウインドウに目をとめ、背後から手を伸ばしてそれを奪う。
「……何ですか、これ」
ウィリアムは尊敬の眼差しを封印してウインドウを見つめる。どうやら、何かの請求書のようだ。日付は昨日になっていて、振り込みは今日──
「ふふ、五十万マール。高く売れたぜ」
「何がですか!」
「何って、お前が昨日読みたがったあれ。データが出回ってないレアな巻を見繕って……」
「売り飛ばした!?」
青ざめる弟子に、
「おう」
笑顔で頷くウィザード。
「な、な、何ですかそれっ!!」
開け放たれたベランダから、カーテンを揺らして吹き込む気持ちの良い秋風。少年の悲鳴は微かに路地まで届いていた。
通りかかったマクスウェルアベニューの住人達が、不思議そうに見上げては通り過ぎていく。
──そうして彼は、魔法使いの弟子になった。
fin.
読んでくれてありがとう!
操作ヘルプ テキストで読む キャラクター紹介 作品情報
トップページ 前の文章
Studio F# Twitter
 
 



ウィリアム・レリック

本編主人公。
ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
優等生で生徒会の書記も務めるが、同学年にはあまり友人は居ない。
コンピュータ・マニアで、学校のSiNEルームに入り浸っている。




サーチライト

ウィリアムが学校のSiNEルームで出会った謎の少女。
自ら「Ω‐NET自動巡回システム対話インターフェースユニット、コードネーム『サーチライト』」と名乗る。
ネットから情報を集めるクローラープログラムの一種であるらしい。




エリカ・グレイン

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
ウィリアムのクラスメートであり、生徒会で会計を務める。
生徒会長に心酔しているらしい。




サナエ・A・ノースランド

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会長を務める。
知的な才女タイプだが、ウィリアムのことを、入学当時から妙に気に入っている。




リュシアン・エンジェル

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会副会長を務める。
人当たりのよいプレイボーイで女の子が大好きだが、サナエのことは恐れている。

ウィル サーチ エリカ サナエ リュシアン
閉じる

操作ヘルプ

本文をクリックして読み進めてください。IE9以上や最新版のFirefox、Chrome、Safariの場合は、エンターキーまたはスペースキーでも読み進めることができます。
前の文章に戻りたいときは、左下の「prev」ボタンを押してください。



全8話、毎週金曜更新

本作品は、毎週連載形式のオンライン小説です。
サイバーパンク・SF学園もの。

世界観についてはこちら 更新情報ツイッター
閉じる