ビットシフト
act1-B
『閉鎖後』の少年
「勉強、しないの?」
ライブラリに着くなり奥の閲覧室を陣取って、張り切ってノートや参考書を開いたエリカだったが、隣のウィリアムが先刻買ったばかりのジャンクデータをうきうき開封し始めるので、不満そうに声を上げる。
「わかってるよ、教えるってば」
「真面目にやってよね」
「注文が多いなあ」
「化学反応式って、どーやって覚えてる?」
「覚えなくても、反応を知っていれば書けるだろ?」
「……レクチャーになってないわよ」
「あー、もう、わかってるって。だから……」
自分が天才で無いことは自負しているが、授業を聞いていれば定期テストくらいは準備などしなくても大丈夫なウィリアムにとって、人に教えるというのは、逆になかなか骨の折れることだ。
けれど、やってみると自分が普段どうやって習ったことを身に付けているかという思考経路を再確認するのも、思ったより面白かった。
つかえつかえの説明も、エリカのお気に召したらしい。
「あー、ほうほう、なるほどね~、簡単じゃない!」
理解した気になって、嬉しそうにエリカがはしゃぐ。
彼女は総合的な成績は決して悪くないのだが、理科系の教科に関しては明らかに苦手なようだ。
どう好意的に解釈しても女らしいとはいえないエリカであるが、こういうところだけは女の子らしい……のかもしれない。
「それにしても、ウィルって意外と教えるの上手い」
「そう?」
「そうそう。学校の授業よりよっぽど分かりやすいわよ」
本気とも冗談ともとれる顔で、エリカは笑う。
ウィリアムは諦め顔で肩をすくめた。
「どちらにしろ、僕には迷惑な話だけど」
「そう言わない、生徒会の仲間じゃない」
「仲間ねぇ……まぁ、勉強は趣味だし、嫌いじゃないけどさ」
「趣味!?」
「まあね」
「学生の風上にも置けない台詞ね」
「……別に、学者になりたいわけじゃないし、いいだろ」
他愛も無い会話を交わしながら、やがてエリカが数学の練習問題に没頭しはじめると、
ウィリアムは先程のメモリを改めて引っ張り出して、机の中央にあるボウルのようなくぼみにザラザラと流し込んだ。
閲覧室の机は大きなワーキング・デスク型コンピュータになっているので、まもなくメモリは読み込まれ、目の前にホログラフィモニタが浮かび上がる。
一枚、
二枚、
三枚……
ウィリアムが大量のデータを読み込ませたせいで、それらは瞬く間に、空中にトランプを全部並べたような有様になる。
ここ、ネオポリス国立ライブラリは、一般に開放されているSiNE設備としては、この街で最大のものなのだ。
「わっ……」
突然ホログラフィの青白い光が手元を照らしだしたせいか、エリカが驚いたように顔を上げる。
「何やってんの!?」
エリカが顔を上げると、隣の少年は膨大な数のモニタに囲まれ、満足げにそれを見上げていた。
「何って……そうだな、本業?」
「本業?」
「うん」
青白い光が、ウィリアムの眼鏡のフレームを光らせる。
少年は細い腕をそっと伸ばして、開いたウインドウのひとつを指でつまむと、スイッと引き寄せた。
「こういうのをね」
それは、エリカが見てもただの記号の羅列にしか見えない、光子構造体(フォトンストラクチャ)エディタの画面である。
ぼうっと、幻想的な青色に光るその画面には、何ともいえない美しさがあった。
少年の右手が、三日月を描くようなモーションを描くと、彼の手元にホログラフィのキーボードが出現する。
「……直してるんだよ」
「……? 直す?」
エリカが声をあげた時には、ウィリアムはもう画面に向かって何かの作業をはじめていた。
「ウィル……?」
「君は演習の続きをしていればいいよ。
分からなかったら見るから」
「う、うん……」
手を止めずに話す少年の横顔を、エリカは呆気にとられて見つめていた。
エディタを使って彼が具体的に何をしているのかは、エリカにはさっぱり分からなかったが、どうやら彼は先程買い集めてきた古い電子書籍データを修復しているらしい。
見ていると、作業の終わったウインドウが次々と閉じられていくようだ。
「あのー……」
「終わった?」
「えっ? あ、数学は、まだ……」
「そう。どれも公式の応用だから、パズルみたいに式の使い方を覚えておけば間違うことはないよ」
「うん……わかった……っていうかウィル……」
「何?」
「それ、どうするの?」
「え? あー……、この古本?」
数学の話をしていたつもりらしいウィリアムは、手を止めてちょっとだけエリカの方を見る。そして、サラッと言った。
「売るけど?」
「へ?」
……エリカにとっては、意外な答えであった。
?
「ねえねえねえ、さっきの話」
とっぷり暮れた帰り道、テスト勉強を終わらせたエリカが、ウィリアムの後ろをちょこちょこ歩きながら声を上げる。
「ん?」
「本のデータ、売るって、さっきの古本屋に?」
「ああ、そうじゃないよ。データ屋に持ち込んでも一律の値段で買われちゃうから。儲からない」
「儲かるの!?」
「まぁ、《NeiN-Thousand》に流せばね」
「ナイン……何それ?」
「草の根SiNE……って、みんなは呼んでるかな」
「え?」
ウィリアムの言葉は、エリカにはやはりよく分からないようだ。
「……そのナインなんとかで売ったら、高く売れるの?」
「うーん、今日仕入れたデータ全部で……」
「8万マールくらい?」
「は!?」
8万マールといえば、高校生には大金である。 二カ月真面目にアルバイトしても届かないくらいだ。
「うん、まー、今日のはそのくらいかなぁ……」
「何よそれ!!」
エリカの目には、ウィリアムは先程、演習問題を解く自分の隣で、一時間ばかり鼻歌交じりで画面に向かっていただけのように見えた。
「何怒ってんのさ」
「おごりなさい! クレープ!!」
「は?」
丁度通りかかっていたクレープ屋をビシッと指差し、怖い顔でそう迫られて、ウィリアムはきょとんとして少女を見る。
けれど、彼女の反応がつまり、自分が一時間で稼いだ約8万マールに対してだと悟ると、可笑しそうに笑った。
「いいよ。どれ食べるの?」
「ほ、ホントに!?」
まさか本当に驕ってくれるとは思わなかったのだろう、エリカは焦ってもぞもぞ後ずさる。
「そだな、僕も何か食べよっかな」
「あ、あたしチョコバナナ!」
「定番だねぇ」
「悪い!?」
「あはは、いやいや、賛成」
結局、二人でチョコバナナクレープを購入することになり……そしてそのまま、青い街灯の照らす大通りを食べながら歩いた。
「あれ、ウィルん家ってこっちだっけ?」
道の途中で、クレープ片手にエリカが首をかしげる。
「違うけど、送るよ」
「えええっ?」
「……君はさっきから、驚いてばかりだな」
「だ、だって……悪いわよ……遠回りだし」
「もう暗いから。それこそ明日ノースランド先輩に怒られるよ」
「え……先輩が……あたしを……?」
コロッと頬を赤らめてニヤニヤするエリカ。ウィリアムは呆れた様子で横目に見つつ、食べ終わったクレープの包み紙をクズかごに捨てた。
「ほら、早く帰ろうよ」
「はーい」
季節は晩秋。
夜の風には既に、冬の気配が混じりはじめていた。
ざあああ
翌日は雨だった。
雨音に閉じこめられた西館の廊下は、彼ひとりきりで、
他の生徒の姿は見当たらなかった。
ピカピカに磨かれたタイル張りの床は、
なんとなく校舎の他の廊下より随分新しく見える。
それは、特にこの区画が新しいというわけではなく、
単にここを通る生徒が少ないせいだ。
教師が急に寝込んだせいで
午後の授業がひとつ自習になった。
それで、ウィリアムはこれ幸いと、教室を抜け出してひとりお気に入りのSiNEルームへ向かったのだ。
「学籍番号2900182、一年のレリックです」
入り口に設置された受付端末に生徒証明カードをかざす。
《ウィリアム・レリック君ですね。確認しました。本ライブラリーでのSiNE利用は二十一時までとなりますので、お忘れなきように》
聞きなれたいつものアナウンス。次の授業をサボってこのまま二十一時までこの部屋に篭もれたら何て素敵だろうか、などとうっとり思いつつ、部屋に入る。
「…………あれ?」
昼下がりの庭から指す、明るく、深い日差し。
いつも通り灰色一色の部屋のつもりで足を踏み入れたのだが、部屋のシステムは既に立ち上がっており、図書室の風景が目に入ったのだ。
いや、既に立ち上がっていたというより、この前ウィリアムが(エリカに引っ張られて無理やり)退室したときから、立ち上がりっぱなしといった風情だ。
(この前の技術書も、あのままだし……)
いつも使っているソファの前には、強制終了された直後と寸分違わぬ様子で、あの技術書が落ちている。
(利用者が退室したら自動で終了するはずなんだけど……)
おかしいなと思いながら周囲を見回すと、あの時気になったプロンプト・ウインドウも、一昨日と同じ状況のまま、薄暗い通路にひっそり浮いていた。
「あ……」
あれは、エリカが部屋の電源を落とした後に現れたやつだ。
もしかして……やっぱり、重大なエラーでも起こしてしまったのだろうか。
慌てて駆け寄って覗き込む。
(これは……ええと……)
処理が中断されました。コマンドを選択してください:
>リブート
>リターン
>シャットダウン
やはり、エラーメッセージらしきものが表示されている。
命令を選べと出ているということは、SiNEの基本システムではなく、何かのアプリケーションが引っ掛かっているんだろうか。
(これ、何を選べば……って、あ、ヘルプがある)
ウインドウの端からヘルプが参照できることに気付いたウィリアムは、迷わずそれを開いてみる。
変なエラーを出して部屋のシステムを止めたなんてことになったら、出入り禁止になりかねない。そんなのはごめんだ。
(何だこれ……読みにくい……
ヘルプっていうか、メモじゃないか?)
それは、一般の利用者に読ませるヘルプファイルというよりは、開発者が備忘録代わりに使っているようなコマンドのメモだった。
「……すごいな」
もし重大なエラーだったらまずい、という気持ちは、それを読みはじめた時点で忘れていた。
独学でSiNEやΩ‐NETのことについて学んできたウィリアムにとって、こういう文書は、どうしようもなく興味をそそられるものだったからだ。
(SiNEクローラー……? 古いプログラムかな……)
どうやらそれは、データ収集系のプログラムのようだ。
詳細は分からないが、このメモを見れば基本的な操作方法くらいは分かりそうだ。
SiNEアプリケーションの内側なんて、初めて目にする。
(すごい……)
見境なくSiNE関連の技術書を読みあさっていたおかげで、書いてあることの半分くらいは理解できる。
(あ、リブートにオプションなんてつけられるんだ。ここ、使用者を僕に書き換えたら使えるのかな……)
常識的に考えれば、ここはシャットダウンを選ぶべきだろう。
落としておけば、次に部屋全体を再起動した時、またこれも正常に動き始めると考えるのが妥当だ。
けれど……
「よし、じゃあ……」
「リブート……ユーザーは、僕で、と……」
ウィリアムは興味本位でコマンドを選んだのだった。
《……コマンドを受理しました。実行します》
そっけない文章が表示されたと同時に、目の前で何か光る塊がはじけた気がした。
カッ
あっと思う暇もなく、視界全部が白い光に包まれる。
「──っ!」
暴力的な眩しさに思わず目を細め、よろめくように何歩か後ずさった。
眩しい、というより痛い。
たかがアプリケーションの再起動作業にしてはちょっと大げさすぎではないか?
目をつむっているのに光の感覚が消えない。
光が入り込んでくる。
目からじゃなくて──これは、なんだろう、
頭に、直接……──!
・・・・
叫び出したい気分であったが、轟々たる光の洪水の前には、それすら叶わない。
(な……これ、どうなって……っ!)
適当に使用者の指定を書き換えて起動したりして、やっぱりまずかったんだろうか。
猛烈な勢いで後悔してみるけれど、プログラムが走り出した後ではもはや何の足しにもならない。
(どうしよ……う……!)
部屋のシステム自体がどうにかなってしまうのではないかと思われるような、強烈な眩しさ。
仮想空間を形作る、SiNEの光流が脳神経を直接刺激していた。
その、太陽を直視するような、頭が割れるような感覚が、何秒くらい持続していたのかは分からない。
けれど、どうにか目を開けられるようになった時には既に、
《それ》は目の前に居た。
そして、ウィリアムは再び、腰を抜かしそうになるほど驚くことになる。
「あ、あ、あ……」
光の名残に、風も無いのにそよそよと揺れる、スカイブルーからエメラルドグリーンへ……まるで、SiNEの光を束ねたような色の髪。
大きな目も髪と同じ複雑な色合いで、
まるで小さな地球のようだ。
細い鼻梁に、薄い桃色の唇。白い頬はスッと滑らかなラインでほっそりした首に繋がっており、いかにも肉付きの薄そうな華奢な体は──
──きっちりとハイスクールの制服に包まれていた。
「再起動が完了しました」
瑞々しい唇が動いて、音を発する。
声、だ。
「は……?」
ニコリと微笑む。
それは、この学校の女生徒であった。
しかも、かなりの美少女にカテゴライズされる。
「はじめまして」
「私はΩ‐NET自動巡回システム対話インターフェースユニット、コードネーム『サーチライト』」
「何をお探しですか?」
少女はとても合成になど聞こえない高く甘い声で、確かにそう言ったのだった。
To be continued.
読んでくれてありがとう!
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Studio F# Twitter
 
 



ウィリアム・レリック

本編主人公。
ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
優等生で生徒会の書記も務めるが、同学年にはあまり友人は居ない。
コンピュータ・マニアで、学校のSiNEルームに入り浸っている。




サーチライト

ウィリアムが学校のSiNEルームで出会った謎の少女。
自ら「Ω‐NET自動巡回システム対話インターフェースユニット、コードネーム『サーチライト』」と名乗る。
ネットから情報を集めるクローラープログラムの一種であるらしい。




エリカ・グレイン

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
ウィリアムのクラスメートであり、生徒会で会計を務める。
生徒会長に心酔しているらしい。




サナエ・A・ノースランド

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会長を務める。
知的な才女タイプだが、ウィリアムのことを、入学当時から妙に気に入っている。




リュシアン・エンジェル

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会副会長を務める。
人当たりのよいプレイボーイで女の子が大好きだが、サナエのことは恐れている。

ウィル サーチ エリカ サナエ リュシアン
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