ビットシフト
act3-A
ワンビット・ダイビング(前編)
ランチタイムは、決まっていつも生徒会室だった。
別に、役員は生徒会室で昼食を取るべしと決められているわけではないのだが、何となく教室よりも居心地が良いせいで、自然と足が向かうのだ。
最初の頃は、ひとりきりの静かなランチタイムを楽しめていた。
が、彼が誰も使わない生徒会室をちょくちょく利用していることを知ったサナエが、やがて頻繁に訪れるようになり、サナエ目当てでエリカも通うようになった。
リュシアンは毎日別の女の子グループに混じってランチを楽しんでいるのだが、それでもたまには顔を見せる。
静かに食事をするために使い始めたはずなのに、いつの間にかの賑やかな昼休みだ。
「ウィルってば! ちょっとぉ、聞いてんの?」
食堂から持ち込んだランチプレートに乗せられたクリームコロッケをつつきつつ、エリカが不満げに声をあげた。
「……は?」
意識の外側から自分の名前が飛んできて、きょとんとしてウィリアムは顔をあげる。
その表情から、少年が自分の話を全く耳に入れていなかったらしいことを悟り、向かい側のふくれっ面はますます不機嫌になった。
「怒ったって仕方ないわよ、エリカ、ウィルが食べながらボーっと考え事してるのなんて、いつものことなんだから」
「そーですけどぉ……」
サナエになだめられ、エリカはしぶしぶ癇癪を引っ込める。
「で、今日はなあに、例の女の子のことかしら?」
サナエがニヤニヤと目を細める。
「えっ?」
「当たりでしょう」
「それは……」
生徒会長は、後輩に何か面白い反応を求めているようだったが、彼女の期待に反して、ウィリアムは煮え切らない様子で瞳を揺らし、ため息をついた。
サナエの詮索は正解であったが、昨日の出来事をうまく、かつ差し障りなく説明できる自信がない。
「えっ、なになになに!? 先輩っ、女の子って?」
思わせぶりな言葉に、エリカが食いつく。サナエは一瞬思案して、ウィリアムの方をチラリと見た。
「話していい?」
「……いいですけど、エリカにはどうせ理解できませんよ?」
うんざりした表情で少年は毒づいたが、好奇心でいっぱいのエリカの耳には、皮肉としては届かなかったらしい。
サナエの解説に興味津々で聞き入って……まもなく、あからさまに当惑した眼差しを少年に向けた。
「いくらあんたがコンピュータ・マニアでも、それはちょっと重症すぎるわ……」
「放っておいてよ。だいたい、あの子はそういうんじゃ……」
「あの子、なーんて言っちゃって、ますます怪しい」
「エリカ……だから違うって……」
変な方向に誤解されるのは不本意なので、どうにか言い訳をひねり出そうとする。
けれど、エリカはそれ以上深く彼の性癖の偏りについて勘ぐろうとはせず、パッと表情を明るくして続けた。
「でもでも、私も見てみたいなー、人間そっくりのプログラム!」
彼女のこういうところは、大変付き合いやすいというか、扱いやすいというか、話していて楽な、助かる部分だ。けれど、ウィリアムは難しい顔で首をひねった。
「多分だけど、見えないんじゃないかなぁ……」
「どういうこと?」
「試したこともないし、僕もわからないんだけどね、彼女、特殊なプログラムみたいだから……」
「君を使用者のひとりとして登録すればおそらく見えると思うけど、出処の分からないプログラムを使って、ブレインポケットに何がインストールされるかも分からないし。うーん、やっぱり、あまりお薦めはできないかなぁ……」
考え考え説明する。
大人しく聞いていたエリカだったが、やがて、眉間に皺を寄せて渋い顔をして言った。
「ねぇ、その、ブレイン……なんとかって、何?」
「え? あー……と、それはね、脳の……」
ウィリアムは少し意外そうに瞬きしたが、すぐに納得したように説明の言葉を続ける。
SiNEをはじめとした現代のヒューマンリンクコンピュータでは、高度に発達した脳波認証技術の応用により、使用者の脳の未使用領域《ブレインポケット》を利用してデータを保管することが多い。
随分昔に確立された技術で、現在では広く当たり前に使われているのだけれど、利用者がそれと意識する必要が無いせいで、サナエ達のように、そういう技術の存在自体、知らない者も多かった。
「──えーと、つまり……要するに、コンピュータ側からのアクセスが可能な、脳内のデータ保管領域のようなものだよ」
途中途中に意図せず専門用語の混じる、決してわかりやすいとはいえないウィリアムの説明に、エリカは不思議そうに目を丸くして、そして、サナエは不安げに眉をひそめた。
「危なくないの? それって……」
「通常、危険は無い筈ですけど。みんな意識してないだけで、幅広く使われているものですし」
「……だけど今、エリカに言ったじゃない。あまりお薦めはできないって」
サナエの言うとおりだ。ブレインポケットに安全性の確認がとれていないものを入れるのは推奨されない。そして、サーチライトの持つ機能はあまりに高機能であり、それ故危険も大きいと考えられる。
「確かにそうですけど……僕自身については、一応、気をつけてるつもりです」
「なら良いけど……でも、まぁ、ほどほどにね」
サナエは心なしか憂鬱な顔で言った。
放課後、何もかもを横において、ウィリアムはSiNEルームへ急いだ。
昨日の出来事──サーチとのやり取りに突然割り込みが入って、彼女が強制終了した事件のことだ──のことが気になって、昼休みだけでなく、今日は授業の内容すら、ろくすっぽ頭に入らなかったのだ。
「サーチ!」
いつものように図書館を立ちあげて、彼女の名を呼ぶ。
音声コマンドにしてあるから、それでサーチライトを呼び出せるはずだった。
しかし、柔らかい彼女の声の代わり、彼の足元の床にレンガを二つ並べたくらいの青い光が点き、次の瞬間には、目の前に、ヒュンと小さなホログラフィ・ウインドウが現れる。
《ようこそ、こちらネオポリスアカデミー付属ハイスクールSiNE検索システム。何をお探しですか?》
合成音声による読み上げと共に、メッセージが浮かび上がる。
同じコマンドで呼び出されることになっていたそれは、この部屋に元々備え付けられている資料検索システムのウインドウだった。
「あ……」
どうして、という気持ちと、やっぱり、という思いが同時に湧き上がる。
「サーチ……」
もう一度呟くが、やはり彼女は姿を見せない。
いつもの穏やかな図書室は、今ではほぼ唯一の使用者である少年の好みの傾向をちゃんと覚えていて、立ち並ぶ書架に並ぶ本はどれも彼好みの分厚い技術書だ。
ここに並ぶ以外にも、ネオポリスライブラリーと共有する蔵書は膨大で、高校時代を全部使い果たしてもとても読み切れないくらいの資料がある。
憧れだったSiNEルーム。
大好きな空間のはずなのに、どうにも物足りなく感じてしまう。
彼女が居ないからだ。
あの圧倒的な力、Ω‐NETの奥深くに隠された情報を、無限に引き出してくれる、魔法のようなあの機能。
それを体験してしまった後では、《一部の、許可された資料が閲覧できるだけの》この施設が、まるっきり子供の玩具のように思えてしまう。
「昨日のあれは、一体……」
答える相手の居ない部屋で、少年はひとり低く呟く。そして、昨日の出来事を改めて思い返した。
あの日、確かに何者かが外から割り込んで、サーチライトに強制リターンコマンドを通してきたのだ。
「外って……」
当然、外とはこのSiNEルームが繋がっている、Ω‐NETのことを指す。
世界のどこからかは分からない、ネットを介した匿名(アノニマス)の第三者。
けれど、それが意外なことで無いことは、ウィリアム自身よく分かっているつもりだった。
偶然この施設に紛れ込んできた正体不明のSiNEクローラーを、勝手に再起動させて使っていたのは自分の方なのだ。正規の使用者が彼女を探すのは当然だし、見つけたとしたら手元に戻すのも当たり前だ。
でも、だったら……もう、ここで彼女に会うことは二度と出来ないと、そういうことなのだろうか?
「サーチ……」
未練がましく呟く少年の視界で、先程立ち上がった小さなホログラフィウインドウが、フワフワと期待するように光を放つ。
ウィリアムは、ハッとしたようにそのウインドウを手にとった。
「もしかしたら……」
《何をお探しですか?》
「1‐bitモード」
昨日、最後にサーチに尋ねたことだ。もしかすると、何か分かるかもしれない。淡い期待をもって結果を待つこと数秒──
《………………エラー。見つかりません》
そっけない返事にがっくりと肩を落とす。聞いたこともない技術だったから、仕方ないのかもしれない。
(じゃあ……)
「マーキュリー型AI」
エリカに邪魔されて読めなかった資料は、先技研の部外秘情報だった。それは無理にしても、何かちょっとした手がかりくらいあるのではないか。
《………………検索結果三件、表示します》
表示された資料は、ひとつは子供向けのコンピュータの歴史の本、もう一つはハイスクールの歴史の教科書、最後のひとつは大昔の政府の広報パンフレットだった。
「随分古いものだなぁ……」
マーキュリー型、というのは、百年ほど前に実現された、非常に高性能な対人コミュニケーションAIであるという。
自然な会話と高度な思考・学習システムを有し、《最も人を理解することができるAI》であると説明されていた。
当時、連邦政府が科学力の粋を集めて開発させた、政策判断コンピュータ《ジュピターシステム》に搭載されたものであるらしい。
「ジュピターって……すごいな。だけど、どうしてそんなものが、SiNEクローラーなんてやってるんだ……?」
歴史に残るAIだが、政府の基幹システムに一時期搭載されていただけのもので、その後民間で利用されたというような記述は見当たらない。
サーチライトが同型AIを搭載しているというならば、一体どこからそんな機密に関わるような技術が流出したのだろう。
(いや、もしかしたら、先技研に所属する誰かが作ったとか?)
そういうことはあり得るかもしれない。SiNEは廃れた技術とはいえ、研究をしている所くらいあってもいいはずだ。
──とにもかくにも、彼女のあの自然な振る舞いは、確かに最高峰AIの名に相応しいものだなと思った。
「あ、ウィル~」
人気のない正門を潜ろうとした少年を、リュシアンの軽い声が呼び止めた。
「あれ……エンジェル先輩? 随分遅いんですね」
施設の利用時間いっぱいまでSiNEルームに篭っていたせいで、帰路につく頃には、既に辺りは真っ暗だった。
「ふっふっふー……部活だよ……」
「アーチェリー部ってこんな遅くまで練習があるんですか?」
「まぁ、大会も近いからねぇ、サボってると、サナエが怖いし……」
「そっか、同じ部活でしたね、先輩たち」
「そーなんだよぉ……」
リュシアンは弓具の入ったカバンを抱えて、疲れた疲れたと盛大にぼやく。そのまま、何となく並んで帰路についた。
「先輩たちって、仲良いですよね」
「ええっ!?」
素直な感想を口にすると、リュシアンは大げさに驚いて、ぶんぶん首を振って否定する。
「仲いいっつーか……腐れ縁的なアレ。幼馴染的な……」
「へぇ……」
初耳だった。
「弓だって、俺が先に始めたんだよ? それなのにサナエが真似してさあ」
「……サナエ先輩、エンジェル先輩のことが好きなんじゃ?」
「えええっ? ないない! サナエは……」
言いかけてリュシアンは口をつぐむ。そして、コホンとわざとらしく咳払いして言い直す。
「俺とサナエはねえ、同じマンションの、それもよりによってお隣同士なわけ。もう、こーんなちっこい頃からお互い知ってるんだよ」
「……やっぱり、仲良いじゃないですか」
「わかってないなぁ……だからねえ、幼馴染っていうのはねぇ……」
歩きながら、リュシアンは幼馴染同士がいかに恋愛関係に発展しにくいかを力説した。
ウィリアムは一人っ子で、近所に同年代の子供が居なかったせいで、そういう存在は居ない。だから、彼の話も今ひとつ実感として理解することは出来なかった。
「でも、いいですよね、そういう親しい友人がいるのって」
「ああ……もう、俺の話をちゃんと聞いてないでしょう」
「聞いてましたよ? そういうのってやっぱり、深い仲だと思います。僕にはそういう友人は居ないので、羨ましいくらいです」
「いーや、わかってないねえ君は、何もかも……」
もうすぐ始まる試験が終わると、半月の大会休暇が始まる。
北半球でも南半球でも季節の良い5月のこの期間に、国を上げて、ありとあらゆる分野の大会やコンクールが集中して行われるのだ。
ウィリアムのようにクラブ活動をしていない学生にとっては、試験後の丁度いい骨休めの期間でもある。
「あ、そだ。ウィル、せっかくだからなんか食って帰ろうよ、俺お腹減ったー」
「えっ、嫌ですよ僕、帰って調べたいことが……」
「ええー、後輩のくせに冷たいー」
「いくらでも喜んで付き合ってくれる人がいるでしょ」
「居ないよ今日は!」
「じゃあ我慢してください。僕は嫌ですからね」
「えーっ、そんな、そーゆーコト言うなよぉ、ごちそうしてあげるからっ」
「遠慮します」
拗ねるリュシアンを突き放して、ウィリアムはさっさと歩いて先に行く。
「ここの坂降りたところにさ、最近、新しくイタリアンレストラン出来たの知ってる? これが結構旨くてさ、俺、カルボナーラ!」
「……行きませんってば」
「ウィルはそーだなぁ……トマト食べたそうな顔してるから、トマトクリームでっ」
「何ですかそれ……」
リュシアン・エンジェルはやたら人懐っこい。そして、サナエやエリカとはまた違った方向で強引だ。
ウィリアムにとって決して得意なタイプでも好きなタイプでも無かったが、フワフワの巻き毛を揺らしてニッコリ笑うリュシアンは確かに天使のようであり、何となく、逆らいがたい妙な迫力があるのだ。
「ただいまー……」
「おかえり、遅かったのねぇ、食事は?」
「ごめん、食べてきた」
結局、リュシアンに押し切られて、夕食を一緒に食べて帰ることになった。
まぁ、リュシアンが喜んで奢ってくれたのと、彼の話通り新しいイタリアンレストランはなかなか美味い店だったので、今日のところは良いかと、ウィリアムも機嫌を直している。
「あら、珍しいわね」
「まぁね……僕、ちょっと調べ物あるから、上行くね」
「はいはい」
おっとりした母は、息子の遅い帰宅を咎めようとはせず、ニコニコと笑った。
ウィリアムは自室に戻り、気を取りなおしたように息をついて、コンピュータの電源を入れる。
(1‐bitモード……情報あるかな……)
帰宅したら、とにかくこれを調べてみようと思っていたのだ。学校のSiNEルームでは何も見つけられなかったけれど、NeiN‐Thousandでなら、何か流れているかもしれない。
手際よくキーワードで検索をかける。結果はさほど多くは無かったが、それでも期待通り、同じキーワードを扱っているらしい書き込みが多数発見された。
『1ビット・ダイビングが既に実現されてるってホントですか』
『1‐bit方式なんて所詮都市伝説』
『1ビット・ダイビングなら休眠ホストにアクセスできるらしい』
『情報求む! 1ビット・ダイビング』
『1‐bit方式が実在するとか言ってる奴はガセ情報に踊らされた馬鹿』
リストに並ぶ記事タイトルにどきりとする。とりあえず、今夜はこれを、読めるだけ読んでみよう。
『1ビット・ダイビング』とは、休眠中のデータホストにアクセスすることの出来る仕組みを言うらしい。
何でも、それを用いれば世界中の眠っているデータを拾い上げることも可能になるという──というあたりまでは、コミュニティをざっと巡っただけですぐに分かった。
一つ一つのメッセージの信憑性はともかく、1ビット・ダイビングいえばそういう技術を指す用語であると、コアなマニアの間ではある程度の共通認識があるようなので、おそらくそんなに間違った内容でも無いと推測することができる。
けれど、その実現方法はどうすればよいのか、という段になると、突然情報が途切れた。というか、突然情報の内容がバラバラになるのだ。
実現段階に向けて軍が開発中である、と囁く者が居たと思えば、既に使っている奴を知っている。とまことしやかに語る者も居る。
そうかと思ったら、そんなものはただの都市伝説で、そんな技術はもともと存在しない、実現不可能なものだ、とバッサリ否定的に書いている記事も多く……
どれが実際に近いものなのか、さっぱり分からない。
ウィリアム自身、こんな話題が存在していたなんてはじめて知ったものだから、どの話を信じてよいものか、根拠にできるものも無いので困ってしまった。
休眠ホストから情報を引っ張り出せるなんて、個人的な感情としてはものすごく興味をひかれる内容なのだけれど、多数意見らしきものを拾ってみると、その見解はおおよそ「理論的には可能と考えられるが、実現した者はおらず、ただの都市伝説」というのが、正解に近いのではないか、と思われるものだった。
(でも、じゃあ、サーチの言ったことは……?)
(彼女は言ってたぞ? 実現されてるって)
「──ル」
(あの子が嘘をつくはずは無いんだし……)
「……ウィルってば!」
「えっ?」
サナエの声に顔を上げると、ウィリアムは生徒会室に居た。
自分では教室に居たつもりだったのだが、昨日に引き続き……いや、昨日以上にぼんやりしていたらしい。
「先輩……」
どのくらいサナエの話を聞いていなかったのかは定かでないが、さすがの生徒会長も呆れ顔である。
「昨日から……どうしたの?」
「……すみません」
考え事をはじめると、周りの声が聞こえなくなるのは少年の悪い癖だ。
しかも、そういう時も一応、意識の一割くらいは現実世界で動いていて……今も彼は、一応、昼食をとっていた。
「すみませんじゃないわよ。薄情者」
しかも、サナエが用意してくれた手作りのサンドイッチを、だ。
手に持ったままのそれを見て、改めて思い出す。そうだった。何の気まぐれか、二人分の昼食を手に、昼休みわざわざサナエが教室まで呼びに来てくれたのだ
そして、それを食していたわけだ。
味の印象が思い出せないので慌てて一口かじる。微妙にマスタードの勝った味ではあったが、まぁ、なかなかである。
「その……とっても、美味しいです……よ?」
「……何で疑問形なのよ」
サナエはじっとり睨む。
「すみません」
「謝らないでよ」
「ごめんなさい」
「ウィル!」
悪循環だ。
いつも昼は食堂で適当なものを買って食べているウィリアムに、生徒会長直々に手作りのランチを差し入れてくれるなんて、そうあることではない。いや、今回が初めてだ。
サナエのご機嫌はこのまま下限を突破してしまうのではないか、と、思ったけれど、意外にも彼女は苦笑して出かかったツノを収めた。
「……最近ほんと、どうかしてるわよ?」
この流れで激怒しないなんて、どうかしてるのはサナエの方だと思わないでも無かったが、彼女の機嫌が悪くないならそれに越したことはないので、そっと話を合わせる。
「ずっと、気になっていて……」
「例の、女の子のこと?」
「まぁ……そうなります」
後ろめたいことで悩んでいるわけではないけれど、サナエに今の状況を説明するとなると何かとややこしい。
昨日以上に技術的な話を避けて通れないトピックで、彼女にしても興味のもてるような話題では無いだろう。
少年なりに気を利かせたつもりで、ごまかしてお茶を濁す。
「そういや、今日はエリカが居ませんね」
「君、同じクラスでしょ?」
「そうですけど……あー、そういえば、今日は声を聞いてないような気が……」
「はぁ、もう、全く……」
サナエは深くため息をついてから続ける。
「前から言ってたじゃない。今日はあの子、家の用事で休みなのよ」
「え? あ、あー……」
改めて思い出してみる。そういえば言っていた。親戚の仕事の都合で、結婚式が平日になったのだとか。
そうでしたねと笑うウィリアムに、サナエはがたんと席を立ち、妙に力を込めて言った。
「……駄目よ、ウィル。そんなんじゃ」
その後、一瞬瞳を泳がせてから続ける。
「ずっと同じことばっかり悩んでると、うまくいかないわよ」
サナエの台詞がどこからどこへ繋がっているのかが一瞬分からなくなって、ウィリアムはハムサンドに伸ばしかけた手を止めて、両手を腰にあてて怒りのポーズをとっている(ように見える)サナエを見上げる。
「……先輩?」
「付き合いなさい」
「へ?」
「明日……どこか、遊びにいくのよ」
言ってからサナエは少し恥ずかしそうに目を伏せ、少年の視線を避けるように顔を背けて言った。
明日は土曜で、学校は休みだ。
「い、今の調子だと、休日まで制服を着込んでSiNEルームに入り浸っていそうだわ。先輩はそういうの、不健全だと思います!」
凛々しいサナエの頬が紅潮しているように見えるのは気のせいだろうか。彼女の言葉は取りようによってはデートの誘いといえなくも無い。
彼らは仲も良い上司と部下であったが、今までプライベートでまで一緒に遊びに行ったりするような付き合いでは無かった。
「サナエ先輩……?」
「……何よ、文句……ある?」
きりりとした眉がつり上がり、殆ど睨みつけるような視線が後輩に注がれる。サナエの様子はやっぱりいつもと少し違う。
気付いているのかいないのか、ウィリアムはきょとんとした目で彼女を見つめる。それから、ちょっと笑った。
「……無いですよ、先輩」
確かに何も予定がなければ休日にSiNEルームに遊びに行くのも悪くないが、親愛なるサナエの誘いを断ってまで行くものでもない。
「あ……」
「わかりました。明日ですね」
特に予定もありませんから、と、ウィリアムは何気なく言って笑った。
休憩後、教室に戻ると、クラスメート達は妙にざわついた雰囲気で彼を迎えた。
そこここでヒソヒソ話し合っているのを見て、何か事件でもあったのかな、と、少年は暢気に考える。
そして、近くの席の者に「何かあったのか」と尋ねて、初めて事件の中心に自分が居るということを知った。
「レリック、君……ノースランド先輩と付き合ってるのか?」
その言葉に、きゃあ、と女生徒が騒ぐ。ウィリアムはポカンとして何故かと問い返した。
「何故って……かの生徒会長に告白まがいの呼び出しをうけておいて、何てことを!」
それが先程の手作りランチを指していることに、そこでやっと気がついた。ああ、駄目だ。殆ど思い出せない。何か言われたんだっけ、とは、いくらなんでも聞けやしない。
「えーと……その、みんな多分、誤解してるよ」
いつも生徒会室で食堂のテイクアウトを食べてたから、先輩が差し入れてくれただけだよ、と、もっともらしく言い訳をしてその場を収める。
サナエは男子はもちろん、女子にも大変人気のあるカリスマ生徒会長なのだ。
恋人は居ないというプロフィールが浸透しているし、キリキリと職務をこなす姿からは、健気に手作り弁当なんていうタイプにはとても見えない。
改めてそれに気付くと、先程のサナエの様子が気になった。
(先輩、もしかして何か聞いて欲しい悩みでもあったのかな……)
自分の考え事に手一杯で、彼女を少しも気にかけていなかったことに、今更ながら反省する。
サナエ・サンドの感想をしつこく聞いてくるクラスメートの相手をしながら、明日会った時にそれとなく話を聞いてみよう、と、少年は考えていた。
To be continued.
読んでくれてありがとう!
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Studio F# Twitter
 
 



ウィリアム・レリック

本編主人公。
ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
優等生で生徒会の書記も務めるが、同学年にはあまり友人は居ない。
コンピュータ・マニアで、学校のSiNEルームに入り浸っている。




サーチライト

ウィリアムが学校のSiNEルームで出会った謎の少女。
自ら「Ω‐NET自動巡回システム対話インターフェースユニット、コードネーム『サーチライト』」と名乗る。
ネットから情報を集めるクローラープログラムの一種であるらしい。




エリカ・グレイン

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
ウィリアムのクラスメートであり、生徒会で会計を務める。
生徒会長に心酔しているらしい。




サナエ・A・ノースランド

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会長を務める。
知的な才女タイプだが、ウィリアムのことを、入学当時から妙に気に入っている。




リュシアン・エンジェル

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会副会長を務める。
人当たりのよいプレイボーイで女の子が大好きだが、サナエのことは恐れている。

ウィル サーチ エリカ サナエ リュシアン
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