ビットシフト
act3-B
ワンビット・ダイビング(前編)
秋らしい、抜けるような青空が高層ビルの合間に広がっていた。
翌日は幸いなことに素晴らしいお天気。ランチタイムが始まる二時間ほど手前、待ち合わせは新都記念公園の噴水前だった。
「あ、来た来た」
一応遅刻はせずに着いたのだけれど、どうやらサナエはとっくの昔に来ていたらしく、姿を現した少年に飲み物を片手に手を振った。
「待たせました?」
「待ったけど、私が早かっただけよ」
私服のサナエは初めて見る。
スラリと背が高いせいか、制服を着ていない彼女は随分と大人びて見えた。何だか別の人と話している感じがして不思議だ。
「そういえば、どこに行くかとか、全然決めてませんね」
来る途中に気付いたことを口にすると、そうなのよね、とサナエも苦笑する。
「ええと……そうだなあ。映画でも見ます?」
言ってから、それではまるでデートのようだと思う。
サナエもそう思ったのだろうか、少し焦ったような表情で瞳を泳がせ、持っていた紙コップをパキパキ壊しながら、
「や……やめとく。なんか時間もったいないでしょ」
と、言った。
二人ともこの街で生まれ育っていて、割合どこの娯楽施設にもなじみがある。
なじみがあるから行ってはいけないわけではないけれど、放課後ちょっと立ち寄って時間を潰す、とかそういうことならまだしも、休日に朝からわざわざ足を運ぶとするとどこか、と考えると微妙に難しい問題だ。
いつもは何でもさっさとテキパキ決めてしまうサナエが、今日はそわそわと落ち着かない。
でも、何となくそれについて突っ込むと怒られるような気がしたので、見てないフリをして話をふってみる。
「いい天気だから、やっぱり外の方が良いですね」
行き先のことはあまり考えずに言う。
「え……あ、うん。そうね。そうしましょう」
ホッとしたようにそう言って、サナエは少し考えて「そうだ」と一人頷く。
「ねぇ、せっかく時間があるから、ガイアポリスまで行ってみない?」
ガイアポリスは、この街──ネオポリスから、川を挟んだ隣にある、とても古い街だ。
少し距離があるのでバスを乗り継いで行かなければならず、ちょっとした遠出になるし、雰囲気のあるレトロな街並みが残り、有名な公園だってある。なかなか気の利いた提案であった。
ウィリアムにとっては、好みの古データ屋が沢山ある、魅力的な場所でもある。
「良いですね、川向うまで行くなら、寄りたい店もあるし……」
「ガイアポリスに?」
ネオポリスの住人にとって、この街に居て足りないようなものは普通無いので、サナエは少し不思議そうに首をかしげる。
「はい。あっちの街には面白いデータ屋があって……あ、でも、最後にちょこっと寄らせて貰えればそれでいいので、他は先輩の好きな所に行きましょう」
ガイアポリスには大きなジャンクショップが何軒かある。とてもネオポリスでは買えないような古いデータや機械が手に入るのだ(中には動かないような本当のジャンク品も相当多いが)。
「なるほどね。分かったわ。そうしましょ」
少年の、いかにも彼らしい台詞を聞いて、サナエは気を取り直したらしい。いつもの彼女が戻ってきたように余裕のある笑顔を見せた。
待ち合わせた新都記念公園からガイアポリスまでは、バスを二回乗り継いで一時間くらい。
途中、ヴィーナスブリッジというとても大きな橋を渡るので、その眺めなんかもちょっとした観光気分だ。
「見て見て、船が出てる」
窓際に座ったサナエが、華やいだ声で囁く。
身を乗り出して指差した方を見ると、午前の光を水面に映すファーストキャピタルリバーに、小さな遊覧船が何隻も浮かんでいた。
「ほんとですね、あんなのあるんだ……」
青に映える白い船体。遠い船はミニチュアのようで可愛らしく、穏やかな水面に引っ掻いたような軌跡を残しながら、どの船も海へと向かっているようだ。
「ふふ、ちょっと乗ってみたいかも」
窓を覗き込んだせいで自然と二人の距離は近づく。
ウィリアムの顔のすぐ下にサナエの頭があって、ちょっと覗き込むと、伏せた瞼に薄く重ねられた銀色のアイシャドウが控えめに光る。
あっと思ってそれとなく見てみると、形の良い唇にも薄い桃色が重ねられていた。
それで、何となくいつもと別人のように思えたのは化粧のせいか、と、やっと気がつく。
おかしなもので、そう思って見ると妙にサナエの仕草のひとつひとつが女の子らしいものに思えてきた。
「先輩って」
「え?」
「案外、可愛いところもあるんですね」
つい思った通りのことを口にしたのだが、サナエはパッと赤くなって、それから随分しばらくしてから憤慨した様子で目を細め、口を尖らせて小声で抗議する。
「……案外は余計だわ」
古い建物を利用したカフェでランチにした後、ガイアポリスの中心にある大きな公園を一回りして、屋台でソフトクリームを買った。
美味しかったが少し寒くなってしまって、慌てて暖かい店を探して入る。
入った先で暖かいコーヒーを飲み直してホッとした時には、さすがに二人で笑ってしまった。
その後も何だかんだと慣れない街を歩き回って、最後にウィリアムの目当てのジャンクショップに立ち寄った。
エルズと言えばその筋では有名な店だ。
一応雑貨屋ということになってはいるが、はっきり言って店内はほぼがらくたの山。
雑然と機械が積み上げられている様子は、お世辞にもまともな店には見えない。
「ウィル……ここって、大丈夫なわけ?」
不審そうに辺りを見回して、サナエが耳打ちした。少年は、大丈夫ですよとそれに小さく答えながら、ウキウキと店内を歩きまわる。
こういう店は楽しい。
それに、店内の古道具はパッと見とても動きそうに無いように見えて、実は殆どが店長の手によって修理、調整されているのである。
そういうのって、ロマンだと思う。あんな古い機械をどうやって修理しているんだろう。
いつ足を運んでも店の奥で眠そうに店番をしているここの店長に、いつか話を聞いてみたいなあと密かに考えていたりもするのだ。
「わ……ここの修復済みデータ、すごいな」
古データ入りメモリのコーナーに、ちょっと仰々しい鍵付きのショーケースが置いてあって、その中にいくつか、修復済みと書かれたデータが並んでいた。
見ると、どれも数十万マールという法外な値段がつけられている。驚いて覗きこむと、どれも恐ろしくレアなデータばかりだった。
「420年代のヒット曲詰め合わせ……370年発行のSiNE図鑑セットとか……500年のドラマ全話集!? うわぁ……こんなのあるんだ」
並んでいるデータメモリに入っているのは、どれも恐ろしく古い。軒並み百年以上前のものだ。
古データの修復販売はウィリアムの小遣い稼ぎでもあるからよく分かる。ここまで古いものなんて、壊れているものですら、普通ほぼ手に入らない。
何しろ、一定以上昔のデータは殆どがΩ‐NETの奥底に沈んだままなのだ。
「すごいな……」
「坊や、古いデータに興味でも?」
ガラスケースに張り付くウィリアムに、誰かが真後ろから声をかけた。
振り向くと、いつもレジの向こうに座って機械いじりをしているここの店長だ。
「あ……えと、はい。僕も少しデータ修復とかやるので……」
話してみたかった人物に唐突に話しかけられたもので、ウィリアムは思わず緊張する。けれど、男は嬉しそうに笑った。
「へええ、珍しいなあ、君みたいな若い子が!」
「あの、これって、すごい古いデータみたいですけど……ホントに全部見られるんですか?」
「そうだよ、どれも高いだろ、俺もびっくりだよ」
言いながら店の奥に引っ込んで行ったと思うと、何かが崩れるような音がする。
あっけにとられて見ていると、男はすぐに戻ってきて、ヒョイとメモリを一つ投げてよこした。
「あげるよ」
「えっ?」
予想外の台詞に、驚いて渡されたメモリを見る。
ラベルが貼っていないので中身が分からない。
男の方を見ると、男はニカっと歯を見せて人好きのする笑顔を見せた。
「確か内容はねえ、学生向けの動画歴史シリーズ。そのデータも、かなり古いやつだよ」
「で、でも……」
いくら位で売られるものかは見当がつかないが、古いデータは概して高価だ。ウィリムは慌ててメモリを返そうとする。
「いーっていーって、うちはこの通り、ハードウェアメインの店だからさあ、データなんて売らされていいメーワクなんだよ。しかもこんなボッタクリ価格でさ。その上、案外売れるんだぜ、信じられないよなー」
まるで、データを持ち込んだ売主と親しいような物言いだ。興味を引かれるが、男は嬉しそうに喋り続ける。
「でも、俺は若い知的好奇心は応援したいからさ。ほら、最近の高校生とか、全っ然コンピュータに関心持たないだろ? 寂しいよなぁーって、思ってるわけ。だから、嬉しいんだよね、こういうのに目を輝かせてくれる若人が」
「い……いいんですか? ホントに?」
「遠慮しないでよ。どうせこんなデータ、元手は一銭もかかってないんだから。で、またうちにコンピュータ部品買いに来てよっ」
君、今までも時々来てくれてたよねー、と、店長はニコニコ顔で付け加えた。
「先輩、すみません。待たせちゃって」
「ううん。面白かった。変なものばっかりで」
帰りのバスは混んでいた。同じようにネオポリスに帰る者が多いのだろう。
もう少し遅い時間ならば空いているのかもしれないが、家に帰り着く時間のことを考えればこのくらいが限界だ。
夕方の時間はとうに終わり、まばらな街灯が窓の外を流れていく。
色々と話したい気がするけれど、車内がとても静かだったので憚られた。
仕方なく揺れる車内でじっと時間が過ぎるのを待っていると、不意に、サナエが思い付いたように口を開いた。
「ねぇ、次で降りない?」
まだここはガイアポリスだ。一体何を言い出すんだろうと、思ったあたりでバスは速度を落とす。次って、もう着くのか?
「先輩……?」
「いこっ」
少年の同意を待たずにさっさと少女は乗客をかき分けてバスを降りてしまうので、ウィリアムは慌ててそれを追う。そのバス停で降りたのは彼ら二人だけだった。
「サナエ先輩、ここはまだ……」
少年が不満げな声を上げると、サナエはクルリと振り返って、それからバスの居なくなった道路の先を指差す。
「橋。渡りましょ」
街灯も、人通りも、車の通行だってまばらな日暮れ後のガイアポリスで、少女の差す先には華やかなライティングを纏ったヴィーナスブリッジがあった。
ここが歩いても渡れることは知っていたけれど、実際試してみるのは初めてのことだ。
車で通り過ぎるとあっという間だが、立ち止まってじっくり見ると、ライティングで浮かび上がる遠くのビル街へと真っすぐ走る道が、道路灯とハンガーロープに取り付けられたライトによって、幻想的な光のラインに見える。
思いの外に美しい光景に、知らず、ため息がこぼれた。
「結構、風が強いわね」
一キロ近くもある長い吊り橋を、こんな時間に歩いて渡ろうという者は彼らの他に居なかった。車は時折彼らの隣をすり抜けて行く。
「でも、悪くないですね、歩くのも」
「そう思ったのよね、私ってば、冴えてるわ」
風に乱れる髪を手で押さえて、サナエは言った。
ああ、そういえば聞くべきことがあったんだ、と、その横顔を見て思い出す。
「そういえば先輩」
「なあに?」
「何か悩みとか、あるなら聞きますけど。僕でよければ」
どういうこと? と、サナエは首をかしげる。あれ、違ったのかなと思いながら、ウィリアムは続けた。
「……先輩、昨日何だか様子がおかしかったような気がしたから」
「私が?」
「サンドイッチ。……あの時は殴られるかと思ったのに」
「あ……」
「だから、もしかして、元気無いのかなと思って」
スピードを出した車が一台、ビュンと二人の横を通り抜けていく。
サナエはしばらく黙ってウィリアムの顔を見ていたが、やがて、ニッと笑い顔を作り、拳で少年の肩を軽く小突いた。
「生意気な子ね」
「すみません」
「ありがと」
夜を照らすライトを受けた、サナエはスッキリした声で短く言った。それから、
「別に、誰かさんに心配されるようなことは無いわ。それとも、サンドイッチがそんなに意外だった?」
悪戯っぽく笑う。
「意外でした」
正直に答えると、
「なるほど。じゃあ、今度はもっと驚かせてあげようかしら」
機嫌よくそう言って、サナエはタタタと先に駆けていく。
少女の背中を追いかけると、その向こうに、高く丸い月が上がっていた。
街を繋ぐ橋の真ん中辺りに指しかかるころ、黙って先を歩いていたサナエが不意に振り返って、そういえば私も、と、静かに切り出した。
「前から一度聞いてみたかったんだけど」
「何ですか?」
「君ってどうしてあんなにSiNEルームとか、Ω‐NETとかにこだわるの? どの辺が魅力? そういうのって」
そんなことをダイレクトに質問されたことは無かったので、ちょっと面食らった。
今まで周囲にウィリアムの趣味を理解してくれる者が居なかったわけではないが、よくあるコンピュータマニアの少年だと単純にカテゴライズされていて、それについて「なぜか?」なんて、誰も言わなかったからだ。
ただ単に、面白いから好きなだけです、と適当に答えても良かったのだが、何となく今夜はそういう返答がふさわしくないような気がして、満月を仰ぐ。
「そうだなぁ……」
それから、今日偶然貰い受けることになったデータのことを思う。
答えは自分の中にあるのに、人に伝える言葉を探すのは難しかった。
「先輩は、Ω‐NETが閉鎖された時のことって、憶えてます?」
いつの間にか足が止まっていた。
「うーん……まぁ、もうそれなりに大きかったから、記憶はあるわよ。結構大騒ぎで毎日ニュースになってた……気がするし」
腰に手をやって、遠い記憶を辿るように呟く言葉は頼りない。それはそうだ。誰でも十年前のニュースなんて、曖昧で当たり前なのだから。
「一万分の一」
月を見上げて、少年はポツリと落とした。
「今、僕らがΩ‐NETを通じて得ることができる情報です。十年前と比べて、一万分の一」
「え……」
「って、言われたら驚きますよね、そんなに!? って」
ウィリアムはちょっと笑って言った。
それは驚くわよ、と、サナエは頷く。
「最初はみんな慌てて問題にしたのに、数年したらその情報量が当たり前になって、結局みんな忘れてしまった」
「『生活に支障はないし、まぁいいや』って」
「でも、僕はなんか、違和感あるんですよね、そういうのって」
「違和感?」
ウィリアムは頷いた。
「世界はもっと広いはずだって。先輩だって思いませんか? 例えばほら、一度、飛行機に乗ってみたいとか、月に行ってみたいとか……」
「飛行機? 大げさねぇ」
「そういうことですって」
彼らの頭の上を飛行機が飛ばなくなってから、夜空に浮かぶ月に人が立てなくなってから、本当に長い時間が流れていた。
──そんなことを、誰も夢見なくなるほどに。
少年の幼い横顔は、遠い空を見つめている。サナエは少し切ないような顔でそれを見ていたけれど、ウィリアムは気付かない。
「僕はもっと知りたいんです」
真っすぐな声だった。
「進歩的なのね、君は」
素直に感心したようにサナエが言うと、
「いや、臆病なだけです」
彼は笑って否定した。
「僕はたぶん、他のみんなより意気地なしで、迷ってばっかりなんですよ。だから、何か、道しるべが欲しい」
「情報が多すぎた時代の人は逆のことを考えたのかもしれませんけど、僕にとっては、たぶん、Ω‐NETは行く手を照らす明かりのようなものなんです」
月の光が川面をキラキラ光らせるのが、橋の上からもよく見えた。
少年の独り言のような告白を、サナエは真面目な顔で受け止める。
ウィリアムにもそれ以上言葉は無かった。二人は肩を並べ、静かに流れる夜の川を眺める。
その後、どちらからともなく会話は学校の話題になって、生徒会で今後企画することになる行事の進行とか、冬季休暇中の活動はどうしようかとか、今度のアーチェリー大会の応援に行く約束とか、他愛も無い話をしながら橋を渡った。
今日一日、そんなに特別なことをしたわけではないのに、夜空の下で話していると、何だか妙にお互いを分かり合ったような、不思議な感覚があった。
何となく、妙に感動的な感覚ですらある。
サナエも同じだろうか。
彼女はとても友人が多いから、そうでもないかもしれない。
けれど、それでもいいやとウィリアムは思った。
To be continued.
読んでくれてありがとう!
操作ヘルプ テキストで読む キャラクター紹介 作品情報
トップページ 前の文章
Studio F# Twitter
 
 



ウィリアム・レリック

本編主人公。
ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
優等生で生徒会の書記も務めるが、同学年にはあまり友人は居ない。
コンピュータ・マニアで、学校のSiNEルームに入り浸っている。




サーチライト

ウィリアムが学校のSiNEルームで出会った謎の少女。
自ら「Ω‐NET自動巡回システム対話インターフェースユニット、コードネーム『サーチライト』」と名乗る。
ネットから情報を集めるクローラープログラムの一種であるらしい。




エリカ・グレイン

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール1年生。
ウィリアムのクラスメートであり、生徒会で会計を務める。
生徒会長に心酔しているらしい。




サナエ・A・ノースランド

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会長を務める。
知的な才女タイプだが、ウィリアムのことを、入学当時から妙に気に入っている。




リュシアン・エンジェル

ネオポリスアカデミー付属ハイスクール2年生。
生徒会副会長を務める。
人当たりのよいプレイボーイで女の子が大好きだが、サナエのことは恐れている。

ウィル サーチ エリカ サナエ リュシアン
閉じる

操作ヘルプ

本文をクリックして読み進めてください。IE9以上や最新版のFirefox、Chrome、Safariの場合は、エンターキーまたはスペースキーでも読み進めることができます。
前の文章に戻りたいときは、左下の「prev」ボタンを押してください。



全8話、毎週金曜更新

本作品は、毎週連載形式のオンライン小説です。
サイバーパンク・SF学園もの。

世界観についてはこちら 更新情報ツイッター
閉じる